20 わびぬれば〜 |歌の意味・解説・翻訳【百人一首】
20 わびぬれば 今はた同じ 難波なる みをつくしても 逢はむとぞ思ふ 【元良親王】
読み方(わびぬれば いまはたおなじ なにはなる みをつくしても あはむとぞおもふ)
出展「後撰和歌集」
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意味「20 わびぬれば〜」
思い悩んでも噂になってしまった今ではもう同じこと。難波の海の澪標(みおつくし)のように、この身が滅んでもあなたに会いたいと思います。
作者:元良親王とは?
元良親王(もとよししんのう)は、陽成天皇の第一皇子。
若くして即位した陽成天皇のあとに天皇になったのは、50歳をすぎていた光孝天皇。元良親王は、光孝天皇の次の宇多天皇の時代に生まれました。
元良親王は、天皇になることもなく、政治の表舞台に立つことはなかったのですが、風流好色の恋多き貴公子で、情熱的な歌人だったと、「大和物語」に逸話が残っています。
解説「20 わびぬれば〜」
この歌は、世間に知られてはいけない恋が発覚し、うわさになってしまったときに、元良親王が詠んだ歌です。
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世間に知られては困る恋愛相手とは、宇多天皇が大切にしていた女性で、まさに命がけといえるくらいの恋でした。
「わびぬれば」は「(つらい目にあって)悩み苦しんでいるから」という意味。
「今はた」は「今はもう」という意味で、「難波なる」は「難波にある」ということです。
この歌のキーワードでもある「みをつくし」は、「澪標(みおつくし)」と「身を尽くし」の掛詞になっています。澪標は、舟の通路方向を示すために水中に打ち込まれた杭のことです。
「難波」と「みをつくし」は縁語になっています。
この歌は、許されない恋が発覚したときに相手におくった歌です。もう会えないかもしれない相手に、こんなに苦しい思いをするなら、身を滅ぼすことになってもいいからあなたに逢いたい、という強い想いを表現しています。
下の句が似ている歌がある
百人一首の中には、下の句が似ている歌があり、この歌「20 わびぬれば」も「88 難波江の」と下の句が大変よく似ています。覚えるときに注意してくださいね。
20 わびぬれば ー みをつくしても
88 なにはえの ー みをつくしてや
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