女性歌人は本名がわからない人が多い?【百人一首の豆知識③】


平安時代の女性たちに本名はほとんど伝わっておらず、わからないことが多いのが一般的です。

身分の高かった女性や、その関係者だった女性以外は、女性の歌人の本名は記録に残っていません。当時の人々の間でも、家族や夫以外は、女性の本名を知らない、というのが普通だった時代なのです。

なぜ、名前がわからないのか?という理由のひとつに、平安時代の考え方や価値観が関係しているみたいです。

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当時は、「名前」には特別な力が宿っていると考えられていました。そのため、のろいなどに使われないように、名前が知れ渡ることに注意をしなければならかなったんですね。

現代の感覚で考えると「名前に力がある」というのは、昔の人の迷信のように感じられますが、平安時代の人々にとって、うらないやまじないは生活と深い関係があったのです。

宮中の儀式や政治の場面でも、うらないやまじないは大変重要なものだった時代なんですね。

本名がわかっている女性歌人は?【百人一首】

百人一首にのっている女性歌人も含め、平安時代の女性の本名はほとんどわからないのですが、その中でも数少ない本名がわかっている人もいます。

例えば、天皇の后になった人、家柄がとてもいい貴族、天皇家で働いていた人などの一部の女性は、現在にも本名が伝わっています。

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ただ、本名の漢字はわかっていても、読み方がわからないこともあります。その場合、音読みするのが一般的です。

一条天皇の后の、定子(ていし)、彰子(しょうし)の二人も音読みするのが普通です。もしかしたら、実際の名前は「さだこ」「あきこ」だったのかもしれませんね。

紫式部の本名は「香子(かおりこ、たかこ)」という説があります。清少納言の本名は「諾子(なぎこ)」といわれています。

平安時代の貴族の教養について

平安時代の貴族の男子は、漢詩、和歌、管弦、中国の歴史、武芸などの教養を身につけるのが一般的でした。

貴族は、才能が普通であっても、家柄がよければある程度は出世できたのが平安時代の特徴です。

そこからさらに、他の人よりも優れている才能があれば、宮中での地位を高めることもできました。

また、平安時代の女性は、仮名を習うこと、お琴をひくこと、「古今和歌集」(全20巻)を暗記すること、が教養の基本でした。

また、平安時代は現代とは違ってすべての文字が手書きだったため、自分の書道の腕前をあげることも大切でしたが、字を見て、書いた人がどんな人物か判断する力も大切だったようです。筆跡判断のような能力ですね。

平安時代の貴族の遊びは?

平安時代の貴族の生活には、舟遊び、花見、月見、楽器を演奏する管弦の会などがありました。このなかに「歌を詠む」ことも組み込まれることがあったようです。

また、左右の組みに分かれ、どちらがすぐれているか競う「物合(ものあわせ)」の遊びも人気がありました。貝合、香合、絵合、歌なども、この物合の一種ですね。

室内での遊びは、中国から伝わってきた「碁」、すごろくなどがありました。「けまり」は男性の貴族の遊びでした。

平安時代の貴族の遊びは、単なる遊びとしてだけでなく、教養と関係があるものが多く、遊びと教養の区別があってないようなものでした。遊びが貴族の生活の中心だった、ともいえますね。

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