44 逢ふことの〜 |歌の意味・解説・翻訳【百人一首】

44 逢ふことの 絶えてしなくは なかなかに 人をも身をも 恨みざらまし 【中納言朝忠】

読み方(あふことの たえてしなくは なかなかに ひとをもみをも うらみざらまし)

出展「拾遺和歌集」

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意味「44 逢ふことの〜」

もし、あの人を逢うことがなかったなら、相手の冷たさや、自分の切なさをうらめしく思うこともなかっただろうに。逢ったからこそ、あの人に逢えない今がうらめしいのです。

作者:中納言朝忠とは?

中納言朝忠(ちゅうなごんあさただ)は、名前を藤原朝忠といい、平安時代中期の活人で、三十六歌仙のひとりです。

第26番歌「小倉山〜」の作者:貞信公の孫で、第25番歌「名にしおはば〜」の作者:三条右大臣(藤原定方)の子にあたります。

藤原朝忠は、上流貴族で、くらいは従三位中納言までなりました。また、歌だけでなく、雅楽でもちいられる笙(しょう)の名手としても知られました。

食欲旺盛だったともいわれ、体型はかなりふとっていたそうです。やせようといろいろと取り組んだのですが、どれもうまくいかなかったみたいです。昔も今も、ダイエットは難しかったようですね。

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解説「44 逢ふことの〜」

この歌は、「いっそのこと、逢う(恋人として付き合う)ことがなければよかったのに」という意味の歌です。

この歌は、第40番歌、第41番歌と同じように、天徳4年に内裏で開催された有名な歌合で詠まれた歌です。判者の藤原実頼は「ことばづかいがきれいだ(詞清げなり)」と評価しました。

「逢ふ」は、男女が一夜をともに過ごす事を意味します。

「逢ふことの 絶えてしなくは」は、「あなた(恋人)と夜をともにすごすことが、決してなかったなら」という意味です。

「なかなかに」は「かえって」という意味で、「恨みざらまし」にかかっています。

「人をも身をも」は、「あなた(恋人)のことも、自分自身のことも」という意味で、相手の女性の冷たい態度、自分の不甲斐なさ、切ない気持ちのことを指しています。

「恨みざらまし」は「嫌になったりもしなかっただろうに」の意味です。しかし、実際にはすでに「逢った」ので、うらまずにはいられない、と逆説的な表現になっています。

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