74 憂かりける〜 |歌の意味・解説・翻訳【百人一首】

74 憂かりける 人を初瀬の 山おろしよ はげしかれとは 祈らぬものを 【源俊頼朝臣】

読み方(うかりける ひとをはつせの やまおろしよ はげしかれとは いのらぬものを)

出展「千載和歌集」

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意味「74 憂かりける〜」

私に冷たいあの人に振り向いてほしいと初瀬の観音に祈ったのに、初瀬の山おろしのように激しくつらくあたるようになった。お前のように激しくなれとは祈らなかったのに。

作者:源俊頼朝臣とは?

この歌の詠み手:源俊頼朝臣(みなもとのとしよりあそん)は、平安時代後期の代表的な歌人です。

百人一首の第71番歌の作者:源経信の子にあたり、第85番歌の作者:俊恵法師の父親にあたります。

源俊頼は、父親の影響もあり、新しい傾向の歌風を引き継ぎ、新しい和歌の世界をきりひらき、和歌の評論も書いています。

第75番歌の作者:藤原基俊は、昔からの歌風を引き継ぐスタイルなので、源俊頼とはライバル関係だったようです。

源俊頼は、政治の世界ではあまり高い位ではありませんでしたが、歌の世界では実力も評判も高く、トップレベルのひとりだったようで、数多くの歌合で判者(審判)をまかされることもありました。

解説「74 憂かりける〜」

この歌は、「祈れども逢わざる恋(祈ってもうまくいかない恋)」というお題で藤原俊頼が詠んだ歌です。

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好きな女性との恋がうまくいきますように、と祈ったのに、まるで山から吹き降ろす風のように冷たくされてしまった、そんな風には祈らなかったのに、という意味の歌です。

この歌の特徴は、冷たい女性のことを、山から吹き降ろす風のように冷たい、と例えて表現しているところですね。

「憂かりける」は、「私に冷たかった人」という意味です。

「初瀬」は、現在の奈良県の長谷寺のことで、十一面観音が祀られていて、平安時代の女性からは、観音像に恋が実るように祈る、という習慣があって、特に人気があったとされています。

「山おろし」は、「山から吹き降ろす激しい風」のことで、初瀬の名物でした。

「はげしかれ」は、「(あの人の冷たさが)はげしくなれとは」という意味で、「山おろし」と「はげしかれ」は縁語の関係になっています。

「祈らぬものを」は、「祈りはしないのに(はげしくなってしまった)」という意味になります。また「祈ら」は、「初瀬(長谷寺)」と縁語の関係になっています。

「う」から上の句が始まる歌は2首ある「二字決まり」

上の句の一文字目が「う」から始まる歌は、百人一首の歌の中に二首あります。二文字目でどちらの歌かわかる「二字決まり」の歌です。

65 うらみわび ー こひにくちなむ
74 うかりける ー はげしかれとは

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