71 夕されば〜 |歌の意味・解説・翻訳【百人一首】

71 夕されば 門田の稲葉 おとづれて 芦のまろやに 秋風ぞ吹く 【大納言経信】

読み方(ゆふされば かどたのいなば おとづれて あしのまろやに あきかぜぞふく)

出展「金葉和歌集」

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意味「71 夕されば〜」

夕方になると、家の前の田んぼの稲に、秋風が吹きつけ音を立てる。その秋風が、蘆ぶきのこの粗末な家にも寂しく吹いている。

作者:大納言経信とは?

作者の大納言経信は、平安時代中期を代表する歌人のひとりです。本名を源経信(みなもとのつねのぶ)といいます。

百人一首の第74番歌の作者:源俊頼の父親にあたり、第85番歌の作者:俊恵法師の祖父にあたります。百人一首の中でも、直系三世代がのっているのはこの三人だけです。

第55番歌の作者:藤原公任と同じく「三船の才」といわれました。当時の白河上皇が、漢詩・和歌・管弦の達人を三そうの船に分けて乗せ、川遊びをしていたときに、遅れてきた源経信が「どの船でもいいので」と言ったことが由来担っています。

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解説「71 夕されば〜」

この歌の特徴は、見たままの風景をそのまま詠んだ歌で、「叙景歌(じょけいか)」といいます。叙景歌は当時では新しいスタイルの歌でした。

この歌の詞書は「師賢朝臣の梅津の山里に人々まかりて、田家秋風といへる事を詠める」となっています。

どういう意味かというと、源師賢(みなもとのもろかた)の梅津にある別荘に人々が集まって、「田家秋風(田舎の家に吹く秋風)」という題で、それぞれに歌を詠んだ、という意味です。

「梅津の山里」は、現在の京都府京都市の西部で、桂川の近くに位置します。

「夕されば」は、「夕方になると」の意味です。「門田」は、「家の前の田んぼ」を指します。

「おとづれ」は、「音ずれ(音を立ててやってくる)」と「訪れ」の掛詞になっています。

「蘆のまろや」は、「蘆でふいたそまつな家」のことです。

上の句とでは、秋風を目と耳で感じ、下の句では、家に吹き込んできた秋風を肌の感覚でとらえていますね。

「ゆ」から始まる二字決まりの歌

「ゆ」から上の句が始まる歌は、百人一首の中で二首あります。どちらの歌も、二文字目でわかるので「二字決まり」の歌です。

46 ゆらのとを ー ゆくへもしらぬ
71 ゆふされば ー あしのまろやに

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