7 天の原〜 |歌の意味・解説・翻訳【百人一首】

7 天の原 ふりさけ見れば 春日なる 三笠の山に 出でし月かも 【安倍仲麿】

読み方(あまのはら ふりさけみれば かすがなる みかさのやまに いでしつきかも)

出展「安倍仲麿」

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意味「7 天の原〜」

大空を見渡してみると、美しい月が見える。ああ、あの月は、昔ふるさとの三笠の山に出ていた月と同じ月なんだなぁ。

作者:安倍仲麿とは?

安倍仲麿(あべのなかまろ)は、阿部や、仲麻呂と書くこともあります。

奈良時代の人で、10代のときに吉備真備たちと中国の唐に留学し、玄宗皇帝に仕えました。

この歌は、安倍仲麻呂が50歳を過ぎた頃、日本に帰国する際の送別会で詠んだ歌といわれています。ですが、帰国途中で船が難波して中国に戻り、その後結局日本に帰国することができず、中国で一生を終えました。

解説「7 天の原の〜」

30数年間、留学先の中国で過ごした安倍仲麻呂が、日本に帰国する際に、海辺の町で送別会が開かれました。

そのとき「美しいあの月は、故郷の春日にある三笠山にでていた月と同じつきなんだなぁ」としみじみ思い出しながら詠んだ歌です。

この歌のポイントは、作者の安倍仲麻呂がどこにいるのか、というところです。「出でし」は「そこに出ていた」と昔の話をしています。

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安倍仲麻呂は、故郷の春日の三笠山の前ではなく、中国の唐にいたのです。当時の日本人にとって留学するといえば中国で、弘法大師も中国で仏教を学びました。安倍仲麻呂は中国でとても気に入られていたので、なかなか日本に帰国させてもらえなかったようです。

結局、安倍仲麻呂は日本に、故郷の春日に帰れず、留学先の唐で一生を終えたかと思うと、この歌が胸にしみてきますね。

春日の三笠山とは?

「三笠の山」は奈良県にある春日山の一部です。そのふもとには「古都奈良の文化財」のひとつで世界遺産に登録されている春日大社があります。

昔の人は、旅行に出かけるときなどに、神様や仏様に旅行の無事を祈る習慣がありました。安倍仲麻呂が日本に帰国する航海の前にこの歌を詠んだのは、故郷の春日の神様に航海の無事を祈る気持ちがあったのかもしれませんね。

また、留学先の中国の唐からみれば、帰国する日本(奈良)は東の方角。海の上にのぼってきた月、東の空からのぼってきた月をながめる安倍仲麻呂は、その月の方向に今から帰ろうとする故郷がある、と感じていたのでしょう。

「天(あま)」から始まる歌は2首ある

百人一首の中で、上の句が「天(あま)」から始まる歌は2首あります。三字目でどの歌か判断できるので、三字目に注意してくださいね。

7 あまのはら ー みかさのやまに
12 あまつかぜ ー をとめのすがた

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