百人一首の雑学&豆知識「なぜ小倉?枕詞、掛詞、月の意味は?」

小倉百人一首かるたで有名な「百人一首」。

100首もある和歌について勉強したり、読み込んでいくと、いろいろ気になることが出てくるものですよね。

今回は、その百人一首についての雑学や豆知識をまとめてみたいと思います。

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百人一首と和歌とは?何が違う?

和歌とは、日本独特の詩のことです。現代では普通五・七・五・七・七の三十一文字で書かれた短歌を指します。

はじめの五・七・五を「上の句」、あとの七・七を「下の句」と言います。歌を数えるときは一首(いっしゅ)、二首(にしゅ)と数えます。

和歌は、三十一文字の中に自然の風景に感動する気持ちや恋する気持ち、さびしさや切なさなど、歌の作者の気持ちが込められているのです。

山や月などの風景、紅葉などの季節を感じさせる植物、鹿などの動物などが歌の中に登場することもあります。

歌に表現されたことから、昔の時代の日本の人々が何を見てどんな風に感じていたか、を百人一首かの歌から知ることができます。

「百人一首かるた」とは?

「百人一首」とは、百人の歌人から一首ずつ選んだ百首の歌です。

今から約800年前、鎌倉時代のはじめ、藤原定家は息子の為家の妻の父、宇都宮蓮生の「山荘の障子に和歌の色紙を飾りたいので歌を選んで欲しい」と頼まれたのが百人一首のはじまりです。
そして、藤原定家は平安時代の歌を中心に、奈良時代以前から鎌倉時代初期までの約600年間の歌人たちの歌の中から100首を選びました。

小倉山荘の障子を飾るための色紙だったので、「小倉百人一首」とも呼ばれています。

その百首の歌を札(かるた)にしたのが「百人一首かるた」です。百人一首かるたの遊びが流行したのはその後、江戸時代になってからです。

上の句と下の句について

百人一首の和歌は、五・七・五・七・七の合計三十一文字でできています。これは「みさ(三)そ(十)ひと(一)もじ」と呼ばれることもあります。

和歌を二つに分けて、「読み札」と「取り札」にしたものが「かるた」ですね。前半の五・七・五を上の句、後半の七・七を下の句といいます。

百人一首のかるたは、下の句が書かれてある取り札を多く取った人が勝ち。上の句が読まれたらすぐに下の句を見つけなければならないので、一生懸命暗記するんですよね。

何度も読み返して暗記して、上の句を読んだらすぐに下の句が出てくるくらいに覚えるとすごいですね。

枕詞(まくらことば)とは?

枕詞とは、ある言葉の上につけて、その言葉の印象を強めたり、リズムを整えたりするときに使う言葉です。枕詞は五文字で、それ自体にはほとんど意味はありません。

例えば「あしびきの」は「山」につく言葉、「ひさかたの」は「光」や「雲」につく言葉、「ちはやぶる」は「神」につく枕詞です。これらはセットで覚えておきましょうね。

掛詞(かけことば)とは?

掛詞=かけことばとは、ひとつの言葉に二つ以上の意味を持たせる言葉のことです。

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日本語には、同じ音の言葉でも、違う意味をあらわすものがたくさんあります。例えば「まつ」は「(人を)待つ」と「(木の)松」のように、ひとつは人の様子を、もうひとつは自然を表現したりすることがあります。

今でいうところの「ダジャレ」のような表現で、言葉あそびはテクニックのひとつでもあります。

かけことばには、その歌にとって大切な気持ちがこめられていることがあるので、興味深くて面白いですね。

百人一首によく出てくる「月」の意味は?

百人一首には「月」もよく歌われている。昔は、月を見て時間が経つのを確認していたので、月はとても大切なものでした。

時間によって月の呼び名が違っていて、夕方の暗くなり始めの頃に見える月は「宵の月」、夜が更け夜中に見える月は「夜半の月」と言います。そして空が明るくなりはじめたころの月は「有明の月」。

月は、好きな人を待って夜をあかしてしまったときに見るもので、切なさやさびしさを意味する歌によく出てくる表現ですね。

約一ヶ月の間に月は欠けたり満ちたりして、そのときどきに形を変える月は、当時の人を物思いにふけさせたり、悲しみにくれさせたりしていたのです。

百人一首に登場する日本の年中行事

昔から、日本では様々な年中行事があり、百人一首の歌の中にもいろいろでてきます。

宮中での行事は神様を祀る儀式「神事」や仏教に関係する「仏事」が多かったようです。現代の皇室でも様々な種類の年中行事がおこなわれていますね。

12番歌の「五節の舞」

天つ風 雲の通ひ路 吹き閉ぢよ をとめの姿 しばしとどめむ (僧正遍昭)

この歌の四句「をとめの姿」は、「五節の舞」の舞姫の姿を意味しています。

当時、宮中では11月に稲の収穫を感謝するとともに、来年の豊作を祈る「新嘗祭(しんじょうさい)」が行われていました。

「五節の舞」とは、その「「新嘗祭(しんじょうさい)」の翌日に開かれる宴「豊明節会(とのよあかりのせちえ)」で舞姫たちが舞う舞のことです。

「豊明」とは「お酒を飲んで顔が赤くなる」という意味です。宮中でおこなわれる年中行事の中でも「豊明節会」が最大の行事で、そのクライマックスが「五節の舞」だったのです。

天武天皇が奈良県の吉野に行った際、天女が降りてきて舞を舞った、という言い伝えが「五節の舞」のもとになっています。

15番歌の「若菜」

15番歌 君がため 春の野に出でて 若菜つむ わが衣手に 雪は降りつつ (光孝天皇)

この歌の三句に「若菜つむ」とでてきます。「若菜」は現在でも正月七日の「七草がゆ」として若菜を食べる習慣が続いていますね。

この行事を「七種(ななくさ)」といい、日本でも古い時代から、皇室特有の行事としてではなく、一般の人々の間でもおこなわれていた行事でした。

98番歌の「大ばらえ」

風そよぐ ならの小川の 夕暮れは みそぎぞ夏の しるしなりける (従二位家隆)

この歌は、神社や宮中、六月末と十二月末の大みそかにおこなわれていた「大ばらえ」のうち、六月末の「六月ばらえ」の様子を描いた歌になっています。

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